武蔵野台地に残る古代の大井戸「まいまいず井戸」(七曲井 堀兼之井 八軒家大井戸跡)
仕事の合間に、武蔵野台地に残る古代の大井戸「まいまいず井戸」を巡ってきました。
武蔵野台地は、多摩川による扇状地の上に関東ローム層(富士山の火山灰)が積ってつくられています。ゆえに、古来から水に苦しめられ、米がつくれず麦作(うどん)文化が栄えました。
また、むかしは垂直に深く井戸を掘る技術(竪井戸)がなく、武蔵野台地の井戸は関東ローム層の約10メートル分をすり鉢状に掘り下げてから、さらに縦掘りしたそうです。
すり鉢の底の部分に達するまでにカタツムリの殻ようならせん状の道がつくられたことから「まいまいず井戸」と呼ばれています。
まずはお隣・狭山市に残る著名な2つの「まいまいず井戸」を歩いてみました。
七曲井(狭山市大字北入曽1366番地 常泉寺観音堂裏)
旧鎌倉街道沿いにある事から、旅人達が渇きをいやしたのでしょう。
底に降りるまでの道が螺旋状ではなくジグザグに七曲がりだったことから名付けられたようです。
ほりかねの井(狭山市大字堀兼2220番地の1 堀兼神社境内)
清少納言の「枕草子」に「井戸といえばほりかねの井」と紹介されたほど、古来より有名な井戸だったそうです。
堀兼神社の前の道は鎌倉街道の脇道・堀兼道で、こちらも旅人が往来したので井戸がもうけられたのでしょう。
堀兼道は新所沢のあたりから断続的に10メートル幅の雑木林の帯が続いており、これが古代の高速道路「東山道武蔵路」では?という人もいます。
以前、東山道武蔵路を歩いた時のブログ
http://www.jimonet.co.jp/ceoblog/?p=922
八軒家大井戸(狭山市と埼玉県所沢市下富1331あたりの境界線)
所沢市内に「まいまいず井戸」はないのか??と堀兼道沿いを探検していて見つけたのがこの古井戸跡です。
おそらく狭山市に位置するであろう民家の敷地に、かろうじて残されていました。
所沢市の下富地域に細長い棒のように飛び出た奇妙な地区(東山道武蔵路の跡地?)があるのですが、そのまん中ぐらいです。
所沢市側に「八軒家大井戸」という立て札が立てられていました。
規模は堀兼之井よりも大きそうです。
ネット上に写真が一切無いので貴重な画像になるのかもしれません。
武蔵野台地の詳しい地学的な説明は下記に
http://www.geocities.jp/yamanekoforest/noyamaaruki/musasinodaiti.html