「市民が集めた朝霞の歴史展~米軍基地があった時代~」に行ってきました
昨日までの開催されていた、朝霞キャンプドレイクの歴史を聞き取り調査する「市民が集めた朝霞の歴史展~米軍基地があった時代~」に行ってきました。
まちの歴史というのは「資源」だと思っています。JAZZバル実行委員をやらせていただいた時、「JAZZと所沢」の掘り起こしがまだまだと考えていました。朝霞でいち早くそういった取組&展示をしているというのを朝日新聞で見て、勉強に伺ってきました。
朝霞では、平成22年から「朝霞市基地跡地の歴史勉強会」というのを朝霞在住の郷土史研究家・有永克司さん(わりと若い方です)と朝霞市都市計画課が中心となって行っていたそう。
展示会へ向けてチームを結成し、情報を集めていき、展示に来た方からさらにパズルのピースのように情報を集める・・・そんな非常に上手な「仕掛け」を各所に感じました。
まちの歴史というのは不思議なもので、専門家でなくてもどんな人の心の中にあるものです。一枚の写真をきっかけに堰を切ったように記憶が戻ったりするのでしょう。朝霞にあったストリップ劇場(朝霞シヨー劇場・朝霞コマ劇場)のイメージが皆に強いようで、来場された方の多くが「ストリップ劇場は・・・」と質問していったそうで、エロは強しです(笑)
前日の大雪で延期になった?トークショーを聴けたのもラッキーでした。
なんとストリップ劇場の土地のオーナーの息子さん(経営は別の人だったそう)も登場。「親父も亡くなったのでカミングアウトします」と衝撃の登場。市会議員を長年つとめて返還に深くかかわった方、当時の基地内で働いていた方などが登壇して、貴重な生の声を聞かせてくれました。
・日本は当時非常に貧しくキャンプのおかげで街に経済効果があった
・キャンプの給料が当時の日本人の給料よりはるかに良かった
・なので朝霞の人々は我が子をキャンプ内で働かせたがった
・キャンプ内で働いている日本人は他の日本人に対して威張っていた
・でも米国軍人ののんびりした価値観に影響されたキャンプで働いている人たちは「怠けたがる」というイメージがつき、しっぺ返しをくらった
・「パンパン」「オンリーさん」と呼ばれた兵士を客としていた女性が街にいた
・そういった人に家を賃貸している日本人も、同じ日本人から見下す発言をされた
・米軍の軍人に対しては誰も何も言えないタブーであった
・朝霞駅前で商店主がボコボコに殴られている時も誰も助けに入らず、警察も見て見ぬふりして逃げ出した。しかし、その時で止めに入ったのは「パンパン」と呼ばれて差別されていた人だったそう
展示を見た後、「Playmate」(店名?)の跡など基地があった往時のふぜいがわずかに残る栄町4丁目、JAZZ喫茶「海」などを見て歩いて帰ってきました。
色々なことを考えさせられましたが、あまり消化できていないのですがざっくり言うと「歴史の前に人間というのはちっぽけな存在だな」と。
いかに人は人に対してくだらない「間違い」や「差別」を行うのものかと憤りを覚えましたし、歴史というのがそういったことをお構いなしに洗い流していくのかとも・・・
歴史や時代というのは正しい正しくないという議論すら意味なく、まぎれもなく存在した「事実」です。
『そういう時代でした』という証言者の言葉が重く心に突き刺さりました。
最後に、写真の掲載には主催の「朝霞基地跡地の自然を守る会」代表の大野良夫さんの了解を得ています。
ちなみに、わたしは「JAZZバル」という少し公的な仕事に近い仕事を受託した業者なので、こういった関わりがありそうなイベントに行った場合は主催者の方にご挨拶するのが筋だと考えています。
「所沢からそういった人が来た」という事実を残すことにもなりますし。
トークショーの動画も実は撮っているのですが、発言者さんにいらぬご迷惑がかかるのはわたしの本意ではないので、掲載はいたしません。
ご興味がある方がいらしましたら個別にお問い合わせください。