鎌倉街道をゆく 八国山・東村山編
八国山から東村山にかけての「鎌倉街道」です。
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八国山の「将軍塚」
「久米川の戦い」の際、新田義貞が本陣を構え、旗を立てたと伝えられています。ちなみに「八国山」とは、関東八カ国が見渡せることから名付けられたそうです。
松が丘の「悲田処跡」
「悲田処」(ひでんしょ)は、平安時代に旅の途中に飢えや病気に苦しむ旅行者の救護所・宿泊所としてつくられたものだそうです。
やはり、鎌倉以前に「東山道武蔵路」がこのあたりを通っていたのでしょう。
「久米川古戦場」
新田義貞が鎌倉攻めの時、小手指河原合戦で鎌倉幕府軍を破ったのち、第二戦を行ったのがこの地だそうです。
住むのが嫌がられる送電線の下に、しかたなくつくられたような公園の一角にあり、ちょっと悲しい感じです。
本当の古戦場跡は違うのでしょう。
「将陣場橋」
やはり新田義貞にちなんだものでしょうか?
「勝陣場橋」というのもあるそうです。
「徳蔵寺」
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者たちを供養した、国の重要文化財「元弘の板碑」を保存した「徳蔵寺板碑保存館」が併設されています。
だいじょぶだァー饅頭の「餅萬」
最後に、東村山出身・志村けんさんと同級生のご主人が営んでいる和菓子屋「餅萬」(もちまん)さん。
小倉づぶ餡の「だいじょぶだァー饅頭」「だいじょぶだァーどら焼き」や、うぐいす餡の「だっふんだァー」シリーズがあります。