鎌倉街道をゆく 久米編
所沢・久米のあたりの「鎌倉街道」です。
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「鎌倉街道」は西武池袋線で一度遮断され、線路を越えてまた続きます。
「東山道武蔵路」
ちなみに、すこし脇にそれた南綾中の校庭からは、さらに昔の律令時代につくられた「東山道武蔵路」(とうさんどうむさしみち)の遺構が見つかっています。
上野国から武蔵国府(府中)をつないだ古代の高速道路で、道幅は12メートルもあったそうです。
南綾中の校庭脇の説明版
幅12メートルの道を放棄して、後にできたのが、幅数メートルの野道・鎌倉街道…。
昔の人はけっこうアバウトだったのでしょうか?
久米の「吾妻橋」
このあたりは以前、「吾妻村」でした。
「吾妻」という地名は、鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」と関係あるのでしょうか?
「肥田野酒店」
吾妻橋の近くには、「恋も咲くところ」を一緒につくっている肥田野酒店さんがあります。
懐かしいゲーム機があったり、手づくり豆腐も売っています。
1日目はここで、ご主人と長く話しこんでしまい、日没。
ちなみに肥田野酒店さんの前にある石碑は、「吾妻橋」から一時的に移されたのが、そのままになってしまったものだそうです。
久米の「長久寺」
鎌倉街道上道沿いに多くある時宗のお寺です。
新田義貞の「勢揃橋」
新田義貞が鎌倉攻めの時、軍勢を勢揃いさせたと伝えられる橋です。
その先には新田義貞が陣を構えた「将軍塚」のある「八国山」が見えます。