レッドアロー号の名前の由来は?雑誌「考える人」の連載「レッドアローとスターハウス 西武と郊外の戦後思想史」
知り合いが紹介していた雑誌「考える人」の連載「レッドアローとスターハウス 西武と郊外の戦後思想史」を購入して読んでみました。
「西武鉄道」と「団地」から戦後思想史を読み解いていこうという連載で、「学生運動」的な視点に偏重しすぎにも感じるのですが、非常に力のこもった内容です。
西武鉄道さんが、実はグローバルな視点や、日本人とは何かを意識した戦略をとっていたというのが驚きでした。
●グローバルな視点
西武線の特急「レッドアロー」のネーミングはスイスの観光電車「レッドアロー」から取られたそうです。
当時の事情に詳しい西武トラベルの方が明かしています。
●日本人とは何かを意識
西武鉄道が秩父まで開通した1969年は学生運動の末、安田講堂が陥落した年だそう。
当時の西武鉄道の社長はその時「いまは若い人が現在の社会組織に反抗するような気分がみなぎっていますが、こういう時にこそ動機は観光の面からでもいいから神社仏閣にお参りしてもらいたい」と述べたのだとか。
つまり、西武に乗って秩父に行き、秩父神社、三峰神社、宝登山神社に参拝したり、秩父札所めぐりをしたりすることを勧めたそうだ。
これは西武グループの創始者・堤康次郎の「本当の意味の日本人をつくりあげる」という思想ともつながっているのだとか。
現代に置き換えると『いまは若い人が縮みゆく日本社会にあきらめ気分がひろがっているが、こういう時にこそ動機は観光の面からでもいいから神社仏閣にお参りしてもらいたい』といったところでしょうか(笑)
●天皇(皇族)という存在にも言及
昭和天皇の1つ違いの弟で当時、非常に人気のあった秩父宮(雍仁親王)のことについて触れており、日本人の精神性に切っても切れない「天皇」(皇族)という存在にも連載では言及している点が非常に興味深かったです。
秩父宮の宮号は「秩父」にちなんでおり、何度も秩父に足を運んだそうだ。
ざっとこんな感じで、あとはぜひ本を手にとって読んでもらいたいです。